亡くなった人にしか伝えられないことがある/家族死生観①


 

救命救急の現場で問題になっていることがあります。
心肺停止や意識不明の状態で病院に運ばれたとき、付き添っている家族は突然問いかけられます。
「延命治療しますか?!どうしますか?!」と。
想像していなかった事態でうろたえている家族が決められるはずがない…
ですが家族が決めなければ、医療の責任として延命措置が施されます。

 
そして今、延命を中止するという決断が行なわれるようになっています。
それはある意味、ご家族が“どうしようもない”と受け入れ、納得の上決断することができる唯一の方法かもしれません。
ですがそこに至るまでに、想像に及ばない苦悩や苦労があるでしょう。
最期の最期に、本来必要のない苦労を抱えてしまった家族の姿を見るのは、私たち看護師にも耐えがたいです。

 
「延命治療しますか?!どうしますか?!」と救急治療室で問いかけられるのは、すべての人に起こりうること。
このとき安易な判断をしないために、ひとりひとり「死」について自分なりの軸を持っておくべきではないでしょうか。
看護師として、そして一人娘として、「私と死」についての考察をお話できればと思っています。
そしてひとりひとり、ご自身が体験した「身近な人の死」と「生」をつなぐ材料にしていただけるのを願っています。

 

死を避ける看護師でした

私は3年間のアルバイトを経て、内科の慢性期病棟に就職しました。まだ身内の死にも立ち会ったことない状態でしたが、就職して1年の間に何人もの死を経験しました。病院のすぐ近くに住んでいるはずの家族が来ず、90歳のおばあちゃんの最期をバイトの私とバイトの先生が看取ったことがありました。また、さっきまで口腔ケアしながら笑い合っていた人が数秒後には亡くなってしまったり、一晩で受持ち患者さんが3人亡くなるなど、尋常ではない体験をしました。

 
そして看護師1年目の冬、阪神大震災で被災しました。普段はみんなが元気になるために使われている広いリハビリ室が遺体安置所になり、何百という遺体が並んでいました。悲しんでいるヒマもない状況で、悲しみに耐えている人たちを山ほど見て、自分の不甲斐なさを痛感しました。(死ぬって何?)(なぜ人は死ぬの?)(死んで、そして??)と、悲しみに暮れる大勢の人たちから恐怖を感じ、死を避ける看護師になりました。

 
その後は、人が亡くなる確立の少ない整形外科病棟や血液透析を選んで働きました。看護師の私は泣いた方がいいのか、泣かない方がいいのか、家族にどんな言葉をかければいいのかわからなかったです。昨日まで目の前にいた人が、突然ポッと消えていなくなるってどういうこと…?漠然とした“問い”だけがありました。

 

余命一ヶ月の宣告を受けた父

あるとき、父から健診の検査データを見せられ、血の気が引きました。父はまだ気づいていませんが、私はいよいよ向き合わなければならないのを感じました。ドクターから原発を精査しましょうと言われ、自覚症状がない父は治療する気満々で入院しました。ところが入院したその日、家族が呼ばれて余命数ヶ月と告知を受け、その翌日、本人に「余命一ヶ月」と告げられたのでした。

 
父は医師の説明を聞いた後、ペンとノート、眼鏡を投げるように置き、「しんどくないようにだけ、頼みます」とひとこと言っただけでした。体はまだピンピンしているのに、無治療という選択肢しかありませんでした。諦めきれない姉の希望に従って代替療法を試みようとしましたが、薬を受け取った頃には身体症状が強くなり物を口に入れることもままなくなりました。安楽死を考えていたこともありました。

 
私は看護師としてではなく、娘として父の代弁者であろうと誓いました。きっとしんどくなったら言葉を発することもできない、だから私が叔母を説得して物事を決めていきました。いよいよ起き上がれなくなったときは個室に移動して付き添い、眠剤を24時間投与してもらいました。それでも目覚めてしまうようになったときはモルヒネを希望しました。

 
医師から「もう二度とお父さんとしゃべれませんよ」と言われましたが、こんな苦しい状況で生きていることを父親が望むはずがない、と迷いはなかったです。それから2日後でした。

 

亡くなってから知った父の生き様

私は一人娘で喪主でした。勤務先に49日を終えるまで休ませてほしいと無理をお願いしました。とても7日間で復職できるとは思えず、父に付き添っていた時期を合わせると60日間ほど休ませてもらいました。私は悲しくてたまらなかったので、毎日泣きました。いえ、心のどこかで毎日泣こうと決めていたのです。泣いている方がラクだった、人と会うときは無理をして普通を装わなければならないので苦しかったです。ただ、ずっと悲しんでいることは父親が望まないだろうし、私自身も病んでしまうため、勤務先に50日目には必ず出勤しますと約束していました。

 
父は在職中だったため会社関係の人も葬儀に出席していただきました。通夜、葬儀を含め49日までの間、父がお世話になった方々にお礼状を送ったり、実際に会っていただいたり、会社に訪問させていただいて様々な話を聞きました。そうする中で、私の知らなかった父の姿が次々と見えてきました。私は父と夜中までよく話し込んだりしていましたが、よく考えてみれば、自分の話ばかりしで親の話を聞いたこともなかったなぁと。

 
父の知り合いから聞く父の姿は予想外でした。多趣味で人間関係が多く、いつも忙しそうに出かけたり、娘の私にはちょっと理解不可能なこともありましたが、徐々にその全貌が明らかになっていきました。生きているうちはわからない、死んだからこそ周囲が語り、その人の生き様が浮き彫りになるのを感じました。もし私がすぐに出勤し慌ただしく父の死を終えていたら、生前の父のことは知らないままだったと思います。

 

死が怖くなくなった

私は父のことを何も知らなかった。もし父が生きていたら、今も知らないままだろうと思う。

人が死ぬというのは、昨日まで目の前にいた人がポッと消えてなくなるわけじゃない、
心の中のその人は、生きていた頃より鮮やかになり、涙を流した分だけ色濃く残る…

看護師私は、看護師の視点で家族を見ているからわからなかった。
家族の心の中には、きっと、亡くなった人が色濃く残っているはずだと思いました。

 
だけど大切な人が亡くなったとき、どのように関わるかによって違うだろうと思います。亡くなっているとはいえ、エネルギーがまだそこにあります。継続した人間関係があるのですが、それに気づける人は少ないかもしれません。通常の職場では、亡くなった人の生前と向き合う間もなく、慌ただしく時間が過ぎることでしょう。現代人は「死を悼む」という言葉の意味を忘れてしまったのかもしれません。

その悲しみは、今しか感じることができない。後で取り戻そうとしても、どうやら変形してしまうように思います。

 

亡くなった人にしか伝えられないことがある

父が生きているとき、もし仮に「死は怖いことじゃないよ」と言ったとしても、聞き入れられなかったと思います。ですが父は身を以て、看護師の私に教えてくれたのだと思いました。そして、私にとって今後の課題を意味しています。命の最期の瞬間に立ち会える職業は、医師、看護師、介護士に限られています。今、これだけ多くの人たちが残された命の宣告を受けるという非常事態は、私たちが「伝えるべきこと」があるような気がしてなりません。

 
生前の父はそれほど強い人ではありませんでした。実際、見込みがないことがわかると安楽死を考えていたのですから。ですが、そのとき私が父に言った言葉を今でも覚えています。父は私の言葉を聞いて、静かに受け入れました。「パパ、私は病院で亡くなる人をいっぱい見てるけど、どの人もみな最期は苦しむねん。苦しまない人はいないわ。わからないけど、きっと最期の苦しみを越えないと、おじいちゃんやおばあちゃんのところに行けないんじゃないかなぁ・・・」

 
今になって思います。それは本当だろうか?と。そのときの私は病院しか知らなかったせいか、最期は苦しんで亡くなる人ばかりで、それが普通なんだと思っていました。ですが今はそうではないと思います。病気に抗おうとするから、死に抗おうとするから、最期に苦しみが来るのではないでしょうか。ならばきっと、私自身が伝えるべきことがあるんですね。これから私はきっとその方向に進むのだと思います。

 
生きているときに言葉で伝えても伝わらないことが、亡くなった人には伝えることができる。
それは身近にいる人だけが感じ取ることができること、
そして受け取った人の課題が隠されています。

 

社会に望むこと

最近は家族葬が多くなっています。それはある意味、人の死において生きている人の時間を奪いたくない、気にかけさせたくないという心遣いでしょうが、私たち日本人の「死を悼む」という大切な機会を損なっているような気がします。

 
共に苦労をしてきた人生の仲間は、家族同様に亡くなった人の死を悼みたいと思っている人もいます。また家族も、自分たちが知らない生前のその人の姿を、最期に知る機会だと思います。もし家族葬で「あの人はこうだったね、ああだったね、楽しかったね」という会話が繰り広げられていればいいのですが…。心が簡素化されないことを望みます。

 
また、葬儀から一週間の忙しさは、ある意味、残された人が悲しみの淵に堕ちてしまわないようにと配慮されているのかもしれませんが、現代人は逆です。悲しいことを悲しいと思えない、感情に蓋をしてしまう習慣がついているので、大切なときに悲しめなかった自分を何年も何十年も引きずる人が多くなっています。

 
すべての人が十分な時間を取ることは不可能かもしれませんが、せめて命を重んじる医療においては、残された家族の立場である職員の悲しみを大切に扱ってくれることを願います。医療は社会の中心的価値問題に関わる仕事です。私たち医療者が変わらなければ、社会は変わりようがないでしょうから。

 

 
「家族死生観」
残された家族が生きるために

 

 

 

 

 

 
山咲凛子 1967年生まれ
Wellnessナース/NLPマスタートレーナー
看護師22年、コミュニケーションスクール主任講師10年。女性が自分らしく生きるためのコーチングや起業支援の経験を活かして、健康/予防を目的に個人活動を行う。受講生約400名、女性セラピストトレーナー150名育成、セッション数4000件から導き出した独自のセオリーを持つ。ナースサミット主催、Wellnessナースビジネスプログラム主宰。
主な情報は8年前から書き綴っている、看護師向け無料メルマガ【心と身体のStudyMail】にて。

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